「日本100名城」として選ばれている城の中で
岡山県内に存在するのは4城。
岡山城、津山城、備中松山城、そして鬼ノ城(きのじょう)である。
備中高松城からは車で行けばそれほど遠くない場所に
鬼ノ城はある。


鬼ノ城・西門(復元)
昭和46年、この山を襲った山火事がきっかけで、
山のあちこちに多くの遺跡が発見された。
その後の調査が進むにつれて、
想像を絶する巨大な要塞型の古代山城跡が姿を現したのである。
古代山城としては国内最大級の規模を誇る。
この城は誰がいつ、何の目的で作られたのか?
これほどの巨大な城でありながら、
古代の正規の歴史書には一切記述が存在しないという謎。
この地方に伝わる「温羅伝説(うらでんせつ)」がある。
これは桃太郎伝説の元となった話だ。
温羅(うら)と呼ばれる鬼が鬼ノ城に住み、
この地方で悪行を重ねていた。
崇神天皇は吉備津彦命(きびつひこのみこと)を現地に派遣し
温羅を退治した・・・・・という話。
さて、多くの歴史家が推測する鬼ノ城の概要を書いておこう。
645年に始まる大化の改新。
ここから日本は天皇中心の新しい体制が築かれようとしていた。
その当時、朝鮮半島では百済、新羅、高句麗という三国がせめぎ合って
戦乱が起こっていた。
663年、女帝・斉明天皇は友好国であった百済へ援軍を送ることを決定。
今風にいえば海外派兵ってことになる。

しかし、白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いで
唐・新羅の連合軍に大敗。
大化の改新の立役者でもある中大兄皇子は、
「唐・新羅の連合軍が日本に攻めてくるかもしれんっっ」と戦々恐々とする。
日本書紀の記述によれば、
唐・新羅の侵攻に備えて西日本の各地に、
山城を築いたとされている。
その多くは亡命してきた百済人技術者の指導のもとに造られた朝鮮式の山城である。
鬼ノ城の石垣や水門の形状から、
古代朝鮮式の山城であると推測され、
この当時に造られたものではないかとするのが有力な説となっている。

東門

城壁の長さは2.8kmに及ぶとされていて、
一周歩くだけでも1時間以上はかかる。
そうとうにハードな観光地だ「(≧ロ≦)

まむしもおるでよ\(>o<)/
さて、最後に鬼ノ城へのアクセスについて書いておこう。
鬼ノ城行きのバスは無いので、
行くなら車かタクシー、レンタカーでどんぞ。
鬼ノ城に行くには、
総社から砂川公園に向かうよろし。
砂川公園を横切ると二股に道が分かれる場所があるが・・

ちゃんと看板があるのでそれに従うよろし。

でも、そこからは舗装はされているものの
すんげー狭い道が続くので、覚悟して行くように(笑)
しかも、急勾配で「リンカーンくん」もヘロヘロになりました(爆)
リンカーンくん(2009/02/07)
鬼ノ城に行く途中には
温羅が生贄を炊くために使ったという“鬼の釜”があるので、
それもしっかりとチェックしましょ。
posted by すだち at 21:26| 岡山

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