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2010年07月05日

さらば、オグリキャップ


すだちの宝箱から・・・・






オグリキャップすごろく

決定版「オグリキャップすごろく」







このすごろくには、
競走成績のすべてが順番に書かれており、
この馬の競走馬生活は決して順風満帆ではなかったことを
改めて感じる。




決して完璧な馬ではなかった。
だからこそ愛された馬だった。。。










3日、オグリキャップ死亡。享年25歳。











激動の時代。
昭和から平成へ。ベルリンの壁崩壊。
まさに時代の変革期をむかえようとしていたときに、
オグリキャップは登場した。
「地方出身馬」にして、中央での活躍。
それは国民的アイドルだったハイセイコーの再来でもあった。
オグリキャップのレースはどれもドラマチックであった。
どんな困難にも果敢に立ち向かっていくそのさまは、
当時の企業戦士そのものだった。
「黄色と黒は勇気のしるし。24時間戦えますか?」
こんなCMが流れていたのもちょうどこの頃だった。

オグリキャップの功績は大きい。
単なるギャンブルでしかなかった競馬を、
ギャンブルではない”何か”を自らが体現して見せてくれたのだ。

1990年12月、有馬記念。オグリキャップの引退レース。
ポロボロに傷ついた彼を見て、評論家は口を揃えて「勝てないだろう」と言った。
勝ってほしいと願っていた人は星の数ほどいただろう。
しかし、勝つと思っていた人はいったいどれだけいただろうか?
勝てないと言われたこのレースで見せた最後の奇跡・・・
それは、頑張ること、信じることの大切さを教えてくれたのではないだろうか。

この頃、巷ではこんな歌が流行っていた。
「どんなに困難で くじけそうでも 信じることさ かならず最後に愛は勝つ」


(2001/08/01 UMA TOWN「20世紀の名馬をすだちが語る」より部分抜粋、一部加筆)








posted by すだち at 22:45| 岡山 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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