2008年08月13日

東條英機を通して戦争と平和を考える




東條英機といえば、
日米開戦時の内閣総理大臣であり、
戦後、A級戦犯として処刑された人物である。


歴史的にはヒトラーやムッソリーニに並ぶ極悪指導者のレッテルを貼る歴史家もいるが、
実質的な権力はそこまであったわけでもなく、
人物像と合わせて評価が大きく分かれている人物でもある。


日米開戦時の総理大臣ではあるが、
「日米開戦を決定」したときの総理大臣ではない
(近衛内閣時の御前会議で「交渉期限」と「交渉決裂時は開戦」が決定されている)




東條英機はもともとは主戦論者。
それでいて天皇を敬愛していた。


昭和天皇の意向は「日米衝突の回避」
その意向を実現するためには、
天皇の言うことを聞き、
なおかつ軍部をまとめる力を持った人物。

そこで名前が挙がったのが東條英機だった。




1941年10月17日・・・東條は内閣総理大臣に就任した。


この段階で東條は己の使命に気づいていた。
それは「日米開戦回避」

主戦論を訴え続けていた東條だったが、
内閣総理大臣になったということは国民全体の利益を考えなければならない立場に立ったということ。



その証拠に、
陸軍の意見を無視して、東條自らが陸軍大臣を兼任。
陸軍省を掌握することによって陸軍を統制できると判断したのだろう。

また、内務大臣を兼任し、
日米交渉成立時に予想されるデモや暴動を抑えるために
警察権力を掌握。

さらに日米交渉を成立させるために
これも陸軍の意向に反して、外務大臣にベテラン外交官の東郷茂徳を起用した。







しかし、当時の統帥部は内閣からは独立した組織として存在し、
内閣が変わったところで、日本の軍事計画は
途切れることなく進行していった。

陸軍は即時開戦を要求する。



それでも東條は食い下がって11月30日までは交渉継続することで
軍部を納得させて、日米交渉にすべてを賭けたのだが・・・


11月27日・・・米国政府からハル・ノートを受けとった東條は愕然とする。
日本には到底受諾できないような条件が列記されており、
もはや交渉で打開できる段階でないことを悟った・・・・

そして日米は開戦した。

東條は開戦した日の夜、開戦回避という昭和天皇からの命を
達成できなかった懺悔の念に耐えかねて、
皇居の方角に向かって号泣したという。








ここまでの話は戦前の
東條が戦争回避に動いた話である。

今回のニュースでは東條が戦争を続行しようとしていたという記事。

東條はもともと主戦論者。戦争となった以上は最後までやり遂げようとしていた。
戦況が悪化した1944年、天皇からの信任が得られずに内閣を辞職。
その後の内閣が終戦工作に動いているのを批判する発言を繰り返していたと言われている。

それを裏付ける資料ってことになる。




東條とは果たしてどんな人物だったのか?
彼が思い描いていた未来の日本とはいかなるものだったのか?




もうすぐ終戦の日。
今一度、あの戦争の意味を考えてみては?
posted by すだち at 00:47| 岡山 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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